皆様は「とっこむし」をご存じでしょうか?
ここでは「とっこむし」と呼びますが、他に「ごとうむし」とか、または「鉄砲虫」とも呼ばれる虫のことです。
要はカミキリムシの幼虫のことで、「とっこ」とは伊那地方の方言で「根」「根っこ」のこと。また、鉄砲虫とはこの虫が木の幹に直径1~1.5㎝ほどの真ん丸い穴を開けて棲んでおり、それがあたかも鉄砲で撃たれた穴のようだということでテッポウムシと言呼ばれています。そして残念ですが「ごとうむし」の語源についてはわかっていません。
その「とっこむし」がジャーナリスト、本多勝一さんの原案で「週刊金曜日」に連載されていた「本多勝一のこんなものを食べてきた!小学校の頃(堀田あきお&佳代著 朝日新聞社刊)」というマンガには「ごとうむし」と紹介されて第一話に登場しています。
1931年伊那谷生まれの本多さんが子どもの頃食べてきた様々な物を紹介しているこのマンガの舞台は、本多さんの故郷「長野県下伊那郡大島村(現在は松川町)」であり、同じ伊那谷ですが伊那市とは若干文化が違います。
たとえばその第一話「ごとうむし」の巻にも、
『甲虫など昆虫の幼虫を食べる民族は世界に珍しくない。信州は日本で最も海に遠く、魚なども少ない県であることが一因か。渓流の水棲昆虫(カワゲラやトビゲラの幼虫)を「ザザムシ」と称して片端から食用にするのも伊那谷だが、これは伊那市など天竜川上流の地域が中心で、大島村では習慣がなかった』
という本多さんのコメントがあり、若干の文化の違いがわかると思います。
もっとも、私の調査では松川町にザザムシの食習慣があったことを確認しています。しかしそれは本多さん言うとおり、大島村にはざざ虫食の習慣は無かったということで、ざざ虫取り習慣があったのは現在の松川町内でも天竜川沿いの旧生田村であっただろうと私は考えています。これはざざ虫を食する伊那市の置いても食べるのは天竜川沿いの集落であり、天竜川から少し離れるとざざ虫はなじみがなくなることと同じことだと私は考えています。
マンガの本編でも生田の子ども達は本多さんとは違うモノを喰って、しょうちゃ(本多少年)を驚かせています(「こんなものを食べてきた」の「からすのおみやげ」編)が、住むところが少し違うだけで食べるものが違うことは昔はよくあったのではないでしょうか。
(それにしても、このマンガの登場人物達は全員がまぎれもなく昔の伊那言葉を使っているのが私にはとても心地よい。その言葉は、今はあまり聞かなくなってしまった私が子供の頃に聞いていた爺ちゃん婆ちゃんたちの懐かしい言葉である。…いや、自分では意識していないが今も自分で使っている言葉か?)
さて、前置きが長くなったが2002年正月、私は大変貴重な経験をした。それこそが何を隠そう「とっこむし」の試食である。話はその半年ほど昔にさか戻る、2001年の夏頃、K氏と一杯やりながらのハナシである。
「牧田君はザザムシの大家ずらね。でもなぇ(けれどもな、の意)、とっこむしょぉ(とっこむしを)喰ったことはあるかぇ?」
「いやぁ、それがまだ喰ったことはないんスよ」
「ほーかぇ、ほいじゃあこの冬、とっこむしょぉ取っといちゃるで待っとらし (そうか、それじゃあこの冬にとっこむしを取っておいてやるから待ってろよ)」
「え、本当ッスか? ありがとうございます!」
ハナシはコンナコトから始まりました。そして、私は決して大げさでなく「とっこむし」を心待ちにしていたのでした。なぜ心待ちにしていたのか。その理由はとっこむしが季節物だからです。とっこむしは冬に向かう季節に薪割りをすると割った薪から出てくる、まさに季節のモノだからです。
そして、2002年の正月、
「やえ、悪かったな、待たせて。都合でなかなか薪割りができんくてな」
そう言ってK氏はわざわざ私の自宅までその宝物を持って来てくれたのでした。
左2匹は成虫。マダラカミキリだと思う。右4匹がその幼虫「とっこむし」。冬なのでじっとしていて動かないが、撮影中に室内の暖かさに動き出した。成虫はギイギイと鳴き、幼虫は柔らかくプニプニとしてかわいらしい。この写真はほぼ実物大。
で、思うのだが、「とっこむし」は正にモスラの幼虫のモデルである。絶対にそうだ。
だって、そっくり、瓜二つだもん。
こうして私は、このありがたい旬の味覚を早速いただいたのでした。
で、私の考えた調理法は二つ。2匹はとっこむしの一般的調理法の網焼きに。そして、2匹はフライパンでバター焼きにしてみたのだった。
まずはバター焼き。
手に持っているのは“生” バター焼きと言うよりは揚げ物に近くなってしまった。
焦がさないようにとろ火でじっくりと焼いた。K氏も言い、そして前述の「こんなものを食べてきた」にもあるが、とっこむしは焼くとぬぬぬぬぬっと伸びるのだ。
初めて焼いたのだが、やはりぬぬぬぬぬっと伸びて、香ばしいきつね色の焦げ目が少しつけば、いかにも美味しそうで「焼けたな」って感じになる。
次は網焼き。
箸で持っているのはバター焼きだが、網焼きも焼き上がると同じくらいに長くなる。真ん中のとっこむしは焼き始めたばかりだが、一番下のは焼けてきてふくらみ、伸び始める寸前である。
双方とも、2~3分で焼けて、あとは味合うばかりとなる。私はビールを用意した。
写真はもうすでに我慢できず1匹いただいてしまった後の物。
味は中味がトロリとバターの様でほのかに甘い。正に絶品である。
「こんなものを食べてきた」で本多さんも『ごとうむしはイナゴやその他の昆虫の中では最もうまいので、子どもの間でも人気が高い。』とコメントしているが、まったくもってそのとおり。
イナゴにしてもざざ虫も調理する課程においては“虫臭さ”があるのだが、とっこむしはそれが全くない。だからこそ煮て(料理で言うところの煮こぼしで)灰汁などを取ることなく、じかに網焼きで美味しくいただけるのだろう。
ナンにしてもこの虫臭さのなさ、そして、その美味は驚きでしかない。
蜂の子(スガレ(クロスズメバチ)の子)も虫臭さはないが、小さいのでとてもとっこむしのゴージャスさには追いつけない。絶対数の少ない希少性を考えても、とっこむしは正に他の追随を許さない「王様の味」と言ってよい。
しかし、バター焼きはうかつだった。なぜなら、とっこむし自体が極上のバターなのだから、それを味わうためにはバターはかえって邪魔になってしまうのだ。
とっこむしの断面である。“とっこむしバター”が詰まっているのがお判りだろう。
さて、このおいしさの正体は何なのか。私は昆虫食研究家の立場からちょこっと調べてみた。
調べてみると、この甘さは昆虫特有なグリセリン(糖質アルコール)だとわかった。そして、これは越冬する昆虫には欠くことのできないものであることも判明した。
つまり、氷点下にもなる厳冬の中、昆虫たちはその寒さに身をさらしたときに全身が凍ってしまう危険性があるわけで、その環境において普通の細胞は氷点下で凍り付き、細胞膜が破壊されて死に至るのである。
しかし、越冬する昆虫たちのグリセリンは氷点下において凍結することなく細胞膜の破壊を防いで越冬できるというわけである。これはスゴイ。
そしてさらに人間は越冬する虫の中でも、とっこむしが一番美味いことを長い経験から知っていて、美味しくいただいている。というわけ。
しかし、その美味しさもい今は忘れ去られようとしている。
私はビールのつまみとして、とっこむしをわさび醤油でいただきました。が、まあ、フントに絶品でしたね。わさび醤油が“とっこむしバター”の甘さをさらに引き出して…!イヤァすごかった。うまかった。
さて、私の調査ではとっこむし(ごとうむし、鉄砲虫)を食べる(食べた)地方は以下のとおりです。
これは私の「ざざ虫」研究課程「1996年昆虫食調べ」の一部である。これを見ると「テッポウムシ」がもっともポピュラーな呼ばれ方のようだ。実は「とっこむし」も伊那のごく一部での呼称であり、「ごとうむし」が伊那谷では一般的ある。
これも「ざざ虫」研究課程での確認だが、「ごとうむし」の名称は、享保20年(1735)に書かれた「信濃国伊那郡筑摩郡高遠領産物帳」という文書(もんじょ、と読んでください)に登場しており、江戸時代中期の伊那地方では「ごとうむし」と呼ばれていたことが確認できる。
ただし私の住む長野県上伊那地方で現在常食しているわけではなく、もはやほとんどが昔の風習となってしまっているので念のため。
だいたい、「とっこむし=ごとうむし=鉄砲虫」を見つけるための“薪割り”自体がもうあまり見かけない習慣となってしまった。
もっとも、薪ストーブが普及している今、「とっこむし=ごとうむし=鉄砲虫」を見つけても知らずにこの宝物を破棄している可能性もある。もしそうならば、実に残念、実にもったいないことである。
ただし、私の周辺の探求心あふれる皆さんの中では今注目の食材となっており、今後「とっこむし=ごとうむし=鉄砲虫」が晩秋から初冬における季節の最高級珍味となる可能性は決して低くはないと私は考えている。
K氏の言うにはとっこむしには「寝小便の薬」という言い伝えがあるとのこと。むむっ…。そういった伝承には必ずや何らかの根拠があるハズ。
そこで早速、私はこの夜しっかりとビールをいただき酔った勢いで眠ってしまいました。そう、その伝承を確かめるために。
んで、普段ならば夜中にトイレに目覚めるパターンなのだが、この夜はしっかりと熟睡。しかし、朝目覚めたらおしっこはいっぱいたまっていました。
やはり伝承は確かで、理由はわからないけれど、とっこむしには尿意を押さえる作用があるようだ。理由はわからない。けれど、不思議だ。
まだまだ僕らは不思議な世界に住んでいる。でも、その不思議な世界を否定し、消し去っているのは個人個人の“常識”なんだろう。
このレポート初稿の20年前ころ、虫を食べるのは“非常識”だった。伊那に住む私にとっては“常識”だったことが、世間では良く言えば不思議に、率直に言えば奇異に見られていた。しかし、昨今、昆虫食がにわかな注目を浴びている。
その影響だろうか。昆虫食は“非常識”の世界から“不思議”な世界になってきた感がある。その不思議な世界をのぞいてみようかな、という人々が増えている感じがしている。
もちろん私にとっては伊那の昆虫食は不思議でも何でもない。しかし、不思議だな、面白そうだなと思って伊那の昆虫食を覗いてくれることは嬉しいことだなと思っている。
にしても、久しくとっこむしを食べていない。ああ、たべたいなあ。
令和元年(2019)12月31日
(初稿平成14年(2002)2月17日)